陰徳陽報 いんとくようほう
人に知られないで(陰で)善い行いをすると(徳を積む)、
必ず誰の目にもわかる(陽に)よい報いがあるということ
徳を積むとはよく聞く言葉ですが、ただ善行をすればいいというわけではなく、陰徳というところがポイントです。善い行いをしても「ありがとう」の言葉や感謝を求めてしまうのは陰徳になりません。これ、なかなかに難しいことです。
ギフトに携わっていて思うことです。
贈る側(ご依頼者様)からすると、思いも時間もかけた贈物で先方からのリアクションが何もないと不安になってしまうもの。制作&提供側の私も、お届けした品はご満足いただけたのだろうかととても気になるものです。
ずいぶんと前に施設への寄付をしている方に提供していた際に、その寄付者さんが名前を明かさず寄付をしており、先方のご様子も知ることができなかったんですね。ご本人は徳を積もうなんて思ってやっていることではなく、とても立派な行為なのですが、ふと思ったのは寄付がどのように役に立ったかわかれば、次にはもっと役に立てるものが贈れるのではということ。
ギフトのその後が気になるのも似たような気持ちがあって、もし気に入ってもらえなかったらどうにかフォローしようとか、よりよい関係を築きたいとか無意識のうち心が働いているのではと思うのです。
とはいえ、お礼がなかったとか、せっかく〇〇してあげたのにとか、、、そういった押しつけがましいことは、せっかくの思いを台無しにしてしまうので、そこはこの言葉を肝に銘じたいですね
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