仏つくって魂(眼)入れず

仏つくって魂入れず

「苦労して仕上げた仏像も魂を入れなければ、単なる木や石に過ぎない」という意味のことわざで、「せっかく良いものを作っても、肝心なものが抜け落ちていれば、仕事も成果は得られず努力もむだになる」ということです。「仏作っても開眼せねば木の切れも同然」という言葉にある開眼は仏に魂を込めること。

私たちが提供するガラスギフトは単なるものにすぎません。どんなに一生懸命に丁寧に仕上げても、そのギフトの贈り主(ご依頼者)の思いが込められていなければ、単なるガラスなのです。言葉も同じように感じています。言霊と言われるように一つ一つの言葉には霊力がありますが、それを使う人の思いが込められてこそ生きていく言霊なのではないでしょうか。ガラスに彫るためにお預かりした思いいっぱいのメッセージを見ていて、そう感じます。

魂を込めることはとても大切なこと。ただし、適当に仏像を作って魂を込めればよいのかと言えばそうではありませんね。作るときも魂を込めることを考える必要があります。

そのことを日々感じて思いを込めてギフトを作り
ギフトをされるご依頼者さま方にも、そのギフトに安心してさらに思いを込めれるようにしていきたいものです

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仏つくって魂(眼)入れず」への3件のフィードバック

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