雄牛は雄牛、馬は馬。
あとはめいめいにそこに見たいものを見るだけ(by ピカソ)
ピカソは目に映ったままの対象を描くのではなく、自分が理解している感じている対象を組み立てて描く方法を初めて行った画家。そして恋多き人で、多感だったのでしょう。友人の自殺、戦争、妻や複数の恋人との愛憎、その時々の精神状態が伝わってくるほどに絵の技法の変遷がすごいです。
ピカソの絵は、女性や人の二面性を表現していると言われてますね。
また自身をミノタウルスに反映させていました。
ミノタウルスは、ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物です。クレタ王のミノスが王位を象徴させる証としてポセイドン神に贈る予定であった牡牛を、贈るときになってその牡牛のあまりの素晴らしさに惜しくなり、別の牛に替えてしまいました。
それを知ったポセイドンは激怒し、ミノス王の妻がその牡牛に恋をするように呪いをかけます。その呪いで妻と牡牛が交わって生まれた子がミノタウロスなのです。そのためか、ミノタウロスはとても獰猛で男には乱暴し女は凌辱するやっかいものでした。
ピカソは自身の半生とミノタウルスを重ね合わせ、倒さねばならないと感じていたようです。自分のたどった全ての道を集約するなら、それはミノタウロスにつながるとの言葉を残しています。
ただ、この神話ではアテネの英雄テーセウスが自ら生贄になりミノタウロスを退治してしまうのですが、ピカソの絵ではミノタウロスを盲目にし少女に導か
せています。肉欲の象徴ミノタウロス、ピカソもまた自分自身を肉欲の権化と認識していたようです。自分の旺盛な肉欲が盲目の激しさであることを、盲目のミノタウロスを通して表現していたのかもしれません。
どんな人でも正と邪の両方を持ち合わせています。人間誰しも弱く、邪心が芽生え、罪を犯す可能性がある。 自分には邪心などないと思っていたら防ぐことはできない。内なる邪を自覚して、それを防ぐ為の
仕組みを作ることが大切である。(帝王学の書『易経一日一言』竹村亞希子著より)
ピカソの絵が多くの人に愛されるのは、隠してしまいたい邪の部分を隠すのではなく、受けとめ表出してきたことも影響があるように思います。
ピカソが作り出した作品のミノタウロスの数々、じかに見れるものは少ないですが、また触れてみたいと思います
9/1000