カテゴリー別アーカイブ: 0.メッセージ【事例、偉人の言葉など】

【グローブクロック】デザインサンプル(格言)

グローブクロック

格言を入れたデザイン案です

サンプルのメッセージは
Only those who dare to fail greatly can ever achieve greatly.
あえて大きな失敗のできる人だけが、偉大なことを成し遂げられるものなのだ(ケネディ)

仲間内や社員の昇進のお祝いに向いたメッセージですね。
デザインはスペース許す限り彫刻可能。ロゴがシンプルなものであれば会社のロゴを入れるのもお勧めです

.

《ご検討中の方へ》
デザインパターンを先に見たいとのご希望をいただきありがとうございます。
ご検討いただけるイメージ図を作成いたします。
.
詳細、レイアウトデザイン一覧はこちらから≫

.

393/1000

【アーススマホスタンド】デザインサンプル(還暦)


アース スマートフォンスタンド

還暦のお祝い用デザイン案です

サンプルのメッセージは
Happy 60th birthday
Hope you continue to live life to the fullest in good times

good times を health に変えたり、付け加えてもよさそうです。

英語は翻訳できるレベルではないので、過去のご依頼メッセージをご参照いただければ幸いです

.

《ご検討中の方へ》
デザインパターンを先に見たいとのご希望をいただきありがとうございます。
ご検討いただけるイメージ図を作成いたします。
.
詳細、レイアウトデザイン一覧はこちらから≫

.

390/1000

成熟した途端、腐敗が

As long as you’re green you’re growing,
as soon as you’re ripe you start to rot.

未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる
by カーネルサンダース

僅か10歳から働き始め失敗だらけの波乱に満ちた人生で、還暦を超え65歳で世界的な企業となったKFCを立ち上げたカーネルサンダース。通称ケンタッキーおじさん。どんなに苦しくても「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」の信念をもち続けていたそうです。

大恐慌によるガソリンスタンドの閉鎖、火事によるサンダース・カフェの消失などで大きな負債を抱えたとき、すでに御年65。再建をはかりますが、その頃にできたフライドチキンのレシピを販売するFC契約を思付きます。そして、65歳の年齢ながら1件1件回るのです。その数なんと1009。10分の1の100回でも断られたら心が折れそうなものを1000回以上です

情熱がすごいですよね。冒頭の言葉通り、生涯を通して成長し続けたのだと思います

385/1000

初心忘るべからず -世阿弥の言う初心とは-

世阿弥は、私にとって遠く及ばなさすぎるでも大きな指針です。
生まれながらに才能を持ち合わせていたであろう世阿弥は、その際に溺れることなく、本質を追求していきました。それでみいだしたまことの花は、見失いがちなことを教えてくれてます。

では初心とは何でしょうか。一般的にはじめたころの「志」として言われることが多いですよね。世阿弥の言う初心とは、ちょっと複雑で、これはまことの花とも連動するように思います。

しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし
(『 花鏡 』-奥の段-)

この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて はや申楽にそばみたる輪説をし 至りたる風体をする事 あさましき事なり。たとひ 人も褒め 名人などに勝つとも これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて いよいよ物まねをも直にし定め 名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。
(『 風姿花伝 』-年来稽古条々-)

はじめたころの未熟さやみっともないさまに悔しい思いなど感じたと思います。その時こそ初心であり、花はこの時より培われたものが実り咲いたものであるので、決して初心を忘れることなかれということなのですね。そしてその初心は環境や年代が変わったときそれぞれにあるもの、例え老後だとしてもその時々の初心を忘れず道をすすむのだということです。一生続く道、いつも基本が大切なのですね

382/1000

感謝の心は・・・ -キケロの言葉より-

Gratitude is not only the greatest of virtues,
but the parent of all others

感謝の心は最大の美徳のみならず、すべての美徳の起源である
Marcus Tullius Cicero(ローマの政治家・哲学者)

順風満帆な政治家人生も最後は裏切りによって自決したキケロ。推していたポンペイウスとカエサルの対立でポンペイウスが破れ政界を引退せざるを得なくなった。そののちカエサルとの関係は修復したもののカエサルがブルータスによって暗殺されるとカエサルの部将アントニウスはキケロがかかわったのではないかと疑う。アントニウスとの対立により、最後はとらえられてしまう。その指揮官はかつて自分が弁護によって助けたはずのもの。キケロは潔く自決。

その生きざまと残された言葉は広く語り継がれています。しかしながら、Where there’s life, there’s hope(生あるところに、希望もある)という言葉を残したにもかかわらず、自決せざるをえなかったのはなんとも壮絶な人生です。

嫉妬と裏切りは悲劇です

Maccari-Cicero

374/1000

Good artists copy, great artists steal. -学ぶと真似るー

Good artists copy, great artists steal. Pablo Picasso

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。

よく学ぶには真似ることと言われます。「まねぶ(学ぶ)」「まねる(真似る)」が同源であるとされるからで、「まなぶ」のまなは「真」で「まことに習(倣)ふ」とします。「ならふ」は「並ぶ」につながり、真に並ぶ(近づく)よう尽くすことが学ぶことなのですね。ちょっと頭がこんがらがってきました(^^;)

つまり、模倣することはそのものに近づこうとすること、そして盗むことができればそれは偉大なものとなるということでしょうか。

盗むという言葉がイメージ悪いのですが、そのものにとって代わるわけですから、生半可なことでは出来ません。ですから、並べるほどに尽くしきることが大事なのですね。

この言葉を残したピカソさん、多くのものを模倣し盗んできたと思うのだけど、その変遷を知りたいです

368/1000

陰徳陽報ー善因善果

陰徳陽報 いんとくようほう

人に知られないで(陰で)善い行いをすると(徳を積む)、
必ず誰の目にもわかる(陽に)よい報いがあるということ

徳を積むとはよく聞く言葉ですが、ただ善行をすればいいというわけではなく、陰徳というところがポイントです。善い行いをしても「ありがとう」の言葉や感謝を求めてしまうのは陰徳になりません。これ、なかなかに難しいことです。

ギフトに携わっていて思うことです。
贈る側(ご依頼者様)からすると、思いも時間もかけた贈物で先方からのリアクションが何もないと不安になってしまうもの。制作&提供側の私も、お届けした品はご満足いただけたのだろうかととても気になるものです。

ずいぶんと前に施設への寄付をしている方に提供していた際に、その寄付者さんが名前を明かさず寄付をしており、先方のご様子も知ることができなかったんですね。ご本人は徳を積もうなんて思ってやっていることではなく、とても立派な行為なのですが、ふと思ったのは寄付がどのように役に立ったかわかれば、次にはもっと役に立てるものが贈れるのではということ。
ギフトのその後が気になるのも似たような気持ちがあって、もし気に入ってもらえなかったらどうにかフォローしようとか、よりよい関係を築きたいとか無意識のうち心が働いているのではと思うのです。

とはいえ、お礼がなかったとか、せっかく〇〇してあげたのにとか、、、そういった押しつけがましいことは、せっかくの思いを台無しにしてしまうので、そこはこの言葉を肝に銘じたいですね

365/1000

直心(じきしん)- 禅の言葉より –

直 心 じきしん

禅の言葉で、真っすぐな心、素直な心、ものごとに真正面から向き合うこと。
人それぞれに物事に向き合い方が違い、素直になれず何でも斜に構える人がいるかと思えば、たとえ自分に不都合があっても素直に向き合い学ぼうとする人がいます。

簡単なようで、なかなかできないのが直心。けれど、知識や技術、知恵は真っ向から取り組まないと会得できないのです。

——————————————–

物事は大切なことほどシンプル。
シンプルがゆえに、当たり前に見過ごしていたり、出来ていると思い込んだり…

たった二文字の言葉に、深く考えてしまいます。
しかし、考えるよりも「向き合うこと」なんですよね

362/1000

森羅万象、全てはメッセージ

五大に皆響き有り 十界に言語を具す
ごだいにみなひびきあり じっかいにごんごをぐす
六塵悉く文字なり 法身は是れ実相なり
ろくじんことごとくもんじなり ほっしんはこれじっそうなり

「声字実相義」

五大は、「地・水・火・風・空」の自然界のこと
十界は、六道の「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」と四聖界の「声聞しょうもん・縁覚えんがく・菩薩・仏」を合わせた人間の心理の境地のこと
六塵は、「色・声・香・味・触・法」で人間が外界から受けるすべての感覚

森羅万象、自然界ではみな響き語りかけます。人のあらゆる心の境地では真理を語る言語があり、私たちの感覚は真理を語る文字なのです。すなわち「仏」とは私たちが生きているこの世界のあるがままの姿なのです。

葉の艶やかさ、花の色や香り、風のにおい、水の清さも冷たさも全てはメッセージ
常に五感を研ぎ澄まして自然に敬意を払い自然の理に従うのです。
いつもたくさんのギフトを受け取っている、そう思えてなりません

あらゆることに感謝ですね

359/1000

仏つくって魂(眼)入れず

仏つくって魂入れず

「苦労して仕上げた仏像も魂を入れなければ、単なる木や石に過ぎない」という意味のことわざで、「せっかく良いものを作っても、肝心なものが抜け落ちていれば、仕事も成果は得られず努力もむだになる」ということです。「仏作っても開眼せねば木の切れも同然」という言葉にある開眼は仏に魂を込めること。

私たちが提供するガラスギフトは単なるものにすぎません。どんなに一生懸命に丁寧に仕上げても、そのギフトの贈り主(ご依頼者)の思いが込められていなければ、単なるガラスなのです。言葉も同じように感じています。言霊と言われるように一つ一つの言葉には霊力がありますが、それを使う人の思いが込められてこそ生きていく言霊なのではないでしょうか。ガラスに彫るためにお預かりした思いいっぱいのメッセージを見ていて、そう感じます。

魂を込めることはとても大切なこと。ただし、適当に仏像を作って魂を込めればよいのかと言えばそうではありませんね。作るときも魂を込めることを考える必要があります。

そのことを日々感じて思いを込めてギフトを作り
ギフトをされるご依頼者さま方にも、そのギフトに安心してさらに思いを込めれるようにしていきたいものです

354/1000